慈恩寺とは?

平成十三年 福岡県大牟田市倉永に建立

平成二十五年 熊本県阿蘇郡高森町に別院を建立

平成二十九年 熊本県阿蘇郡高森町に荒神堂を建立

令和元年九月二六日 宗教法人取得

令和元年十月二七日 施行施薬院落慶す

 

本尊を大日如来とし、神道と仏教が混淆(神仏習合)した寺であり、
数多くの神仏を御祀りしています。

また、国や宗教・宗派に囚われず、報恩感謝・懺悔・供養をもとに常に門戸を開き

・どの宗教、どの宗派を超えて祈れる場

・いつでも、いつまでも祈れる場

・すべての命が救われる場

であるように、全ての人々へ祈る事の大切さを伝え

日々全ての神仏に対し祈りを捧げてます。

 

〇慈恩寺の祈り

「目に見える者でも、目に見えない者でも

遠くに住む者でも、近くに住んでいる者でも

すでに生まれた者でも、これから生まれようとする者でも

生きとし生ける者はみな幸せであるように」

大本山国分寺の由緒沿革

 大阪市北区国分寺の地は遠く一千三百余年前、大化元年十二月孝徳天皇が攝津に遷都せられ、当地に長柄豊碕宮の御所を造営せられ、大化の改新を実施せられ、聖徳太子以来の理想を実現せん為め、実に我が国に於ける最初の模範的帝都を完成する事を念願せられたのであったが、余りに規模が広大であった為めその実現は大変困難であった。

 後に斎明天皇の御代、道昭律師勅を奉じて先帝の菩提を祈らんが為め長柄豊碕宮旧址に一字を建立し、長柄寺と称す。

 天平十三年三月二十四日、一国一寺の国分寺創設の詔勅を降し給ふや当長柄寺を改称して、摂津に於ける金光明四天王護国之寺を為し給ふ、即ち略して護国山国分寺と称す。

 爾後一千二百有余年、聖武天皇をはじめ十四帝の勅願道場として各宗を通じて最も正しい由緒ある大本山であります。(勅願所と称する大寺も沢山ありますが、詔勅を賜って建立された寺院は国分寺の他にはありません。神宮は詔勅によって建立されたものです)